【第1話】お金がなければ、家族仲すらも簡単に崩れると知った少年時代。

いきなりですが、僕はかなりお金にシビアな家庭で育ちました。

 

振り返ってみると

「そこまで貧乏だったわけじゃないんじゃないか?」

とは思うのですが、とにかく母はお金にうるさかったんです。
(根は優しくて、良い人なんですけどね)

 

口を開けば金、金、金・・。

「また今月の父ちゃんの携帯代が・・」
「来月は、車検と保険の支払いが・・」
「再来月はあんたと、姉ちゃんの修学旅行代が・・」

本当にお金の心配ばかりしていました。

 

今になって思えばそのおかげで学校も通わせてもらい、大きく育ててもらったので感謝しかないのですが、そんなことがわからない少年時代にいい思い出はなかったと思います(笑)

 

家族で外食した記憶もないですし、家族旅行なんてのもしたことがありません。

 

ゲームを買い与えてくれるという夢のような環境もなかったですし、クリスマスプレゼントすら1000円の中古ゲームだった時もあります。

 

服も当然のように兄貴のお下がりを着ていましたし、裁縫が趣味だった母はズボンを手作りし、それを履いていたときもありました。

 

・・ズボン手作りって、「戦後かっ!」ってツッコミたくなりますよね。

なんかゴワゴワした厚手のズボンだったと思います(笑)

 

そんな裕福とは決して言えない状況で、父はなぜか自分の夢だった飲食店をスタートさせました。

 

定食と麺類を提供していた地元密着型?の小さい飲食店。

小さい居抜き物件のお店ながらも、当然お金は必要なので借金をしたそうです。

 

長年の夢をかなえて、意気込んでいたのはいいものの・・。

そんな素人が片手間に経営していた店が上手くいくはずもなく、1年も経たないうちにあっけなく閉店

 

黒字だった月なんてのは、開店してから一度もなかったみたいなので、借金はどんどん積み重なっていきました。

 

そのせいか元々お金に厳しかった母は、さらに厳しくなりました。

ただでさえ金銭的に厳しい母を父はあまりよく思ってなかったからか、親の喧嘩もあの頃から増えた気がします。

 

喧嘩の内容は9割が”お金”

そして母はいつも父に怒鳴られ、最後には顔を下に向け、声を押し殺すように泣いていました。

 

見るに堪えなくなって、止めに入ると、さすがに暴力は振るわない父だったので、そこですんなり辞めてくれるのですが。。

その後に母はいつも「私が悪いんだから・・」と、泣きながら言っていたのを思い出します。

 

今こうして思い出しながら、書いてても切なくなりますね・・。

僕は3人兄弟の次男なのですが、兄弟間の喧嘩はなかったかというと、そんなこともなく。

 

思春期でなのか、常にイライラしていた兄の機嫌を損ねると、7歳年下の自分にまあ、暴力が派手な兄弟喧嘩が始まることがよくありました(笑)

 

時には鼻を折られて、夜間の病院に緊急搬送されたり、兄の右ストレートが僕の右目にクリティカルヒットし、失明寸前になったこともあります。

その時は目が真っ赤に充血し、目の後ろ側の網膜(?)まで血の膜が達してたら完全アウトだったんだとか・・。

 

とにかく、お金が原因でギスギスしていた家庭でした。

これらの小さい頃からの経験から、あまり家族と過ごすことの幸せを感じることなく、「お金がないと幸せになれない」この1つの真理を脳に刷り込まれ育ってきたように思います。

 

今振り返ると21歳という若さで独立して、こうして「自分でお金を稼いで生きよう」と思い、必死で勉強して、ここまで来れたのは、小さい頃の経験が基となってるからかなー、なんて思いますね。

 

まさに幸か不幸か、ってやつですかね(笑)

っと、話がそれました。

 

そして僕は父の飲食店の失敗なんて全く頭にないかのように、小さい頃から好きだった料理の世界に憧れをもち、”料理人になり自分の店を持つ”という夢を持っていました。
(子供だったんで、ちゃんと理解してなかったんでしょうね。笑)

 

一度決めたら曲げない、というイノシシのようなまっすぐ突き進む性格も役立ち、無事に調理の専門学校を卒業し、某有名ホテルのレストランに就職することが決まりました。

 

そこには憧れていた料理の世界とは180度違う、地獄が待ち受けていようとは、当時の僕は知る由もなく・・。

 

第2章に続く

【第2話】夢の先にあった地獄

2017.07.29

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